フリーランスエンジニアCOMの経歴
初めまして!フリーランスエンジニアのCOM(コム)です。
プロフィールを読んでいただいて、ありがとうございます。
僕は文系Fラン大学を卒業し、販売職(小売業)を経てエンジニアになり、今ではフリーランスエンジニアとして、ブログやコーチング、プログラミング講師などをやって生活しています。
まったくの未経験から、どうやってエンジニアになってフリーランスとして平均以上稼げるようになったのか。
エンジニア?なにそれ美味しいの?って人(昔の自分)でもわかりように、簡単に書くのでサラッと読んでみてください。
- 簡単な自己紹介
- フリーランスになると幸せだという話
- 本当に運動しかやってこなかった小・中学時代
- 地元を離れ田舎の高校に入学
- 狂ったように遊んだ大学時代
- 遊びすぎて借金100万円
- なんとなくで小売店に就職
- 仕事で消耗して絶望する
- ノウハウコレクターになり30万円損をする
- なんとかエンジニアになるも月収15万
- SES兼自社開発企業に入社
- フリーランス1年生:いきなりクビになる
- フリーランス2年生:あこがれの週休3日になる
- フリーランス3年生:ついに月100万円達成!!
- 大切なのは挑戦すること
- エンジニアになる決意の話
フリーランスエンジニア。
そんな人は沢山います。
でも、僕が他の人と違うのは、全く経験も興味もない状態からプログラミングを渋々やって、今フリーランスとして働いているところです。
ずっと運動しかしてこなかった人生で、大学に入ってからも遊んでばかりでパソコンなんて触ったことすらありませんでした。
ひたすら勉強をしました。
めちゃくちゃ勉強したら、なれました。
僕がエンジニアとして独立するためにやった事は、ここでさらに詳しく語っています↓
って思うかもしれません。
でも、エンジニアになるまでの道のりはとても険しく、大変でした。
- バスケしかやってこなかったので勉強が全くできない。
- 大学で遊びすぎて借金100万円
- ノウハウコレクターになり情報商材を買い漁る
- ブラック企業で夜勤とクレーム対応で心が病む
- エンジニアになったものの月収15万でさらに借金する
自分でいうのもアレですが、かなり壮絶な道のりでした。
だれだよ、僕の人生ハードモードに設定したの!笑
いかがでしょう?
これなら自分の方がマシかも・・・。
って思いませんか?
そこからどうやって今に至ったのか?
生い立ちから現在までをまとめてみました。
簡単な自己紹介
- 1991年福岡で生まれる
- 10歳でバスケを始める
- 中学でバスケと陸上部を掛け持ちする
- 高校で岡山に引っ越す
- そこでもバスケ一筋
- 遊びたいという理由で上京
- めちゃくちゃ遊ぶ→遊びすぎて借金100万円
- 歌舞伎町でホストをする
- 就活が嫌すぎて、一番最初に決まった会社に決める
- 不定休・長期休暇なし・夜勤・クレーム対応で絶望する
- 自由な職業につきたいと思い調べるもノウハウコレクターになって30万円損をする
- 友達にエンジニアを勧められる
- SESに入社するが、月収15万でさらに借金
- なんとか自社開発企業へ入社
- 約1年でフリーランスになる
- 1年で月収50万円達成
- 2年で月収60万円達成→半年後フルリモートになる
- 3年で月収70万円達成
- 3年と2ヶ月で月収100万達成(フルリモート)
現在は、月70円前後でリモートワークで働いています。
エンジニア業の他にも、スクール講師やブログや、個人でもエンジニアの独立をサポートする事業をやってます。(+20万円くらい)
とても楽しいです。
僕は正社員とフリーランス両方経験しましたが、フリーランスになってよかったなと思っています。
僕が実際に体験したフリーランスのメリットを紹介します。
フリーランスになると幸せだという話
フリーランスのエンジニアになるとこうなります↓
- 収入が正社員時代の倍以上になる(フリーランスエンジニアの平均年収は800万以上)
- 自分の生活リズムに合わせて案件を選べる
- 嫌な上司から逃げられる
- 副業自由(副業という概念がない)
- 社内イベントに参加しなくていい
- 週休3日・4日もある
- フルリモート案件も沢山ある
- 好きな時に休める
- 案件と案件の間で長期休暇が取れる
- 自分のやりたいスキルベースで案件を選べる
- いろんな会社を渡り歩くことで知見が広がる
- 税金周りの知識がつく
- 余裕ができてストレスが減り健康になる
- 飲み会や仕事に少しでも関係する物を経費計上できる
フリーランスエンジニアになれば、これは普通です。
今IT業界以外にいて、正社員の人からすると信じられないかもしれませんが、事実です。
フリーランスになるだけで、月収が増える?怪しい・・・。
そう思うかもしれませんが、実際増えます。(増えた)
別に悪いことしてないですよ。笑
ちょっと前まで、小売店で夜勤やってレジ打ちして「いらっしゃいませー」っていってたとは思えません。
今回僕がこの記事を書いたのは、昔の自分みたいに仕事がつまらなくて、でも給料が安くて辛い人に少しでもフリーランスエンジニアの良さを知ってもらいたい。
こんな方法もあるってことを知ってもらいたかったんです。
では、ここからは、先ほど簡単に書いた僕の人生をもう少し詳しく書いていくので、興味あると思った方は是非読んでください!
きっと元気がでます。
では、いきましょう!
本当に運動しかやってこなかった小・中学時代
親の英才教育?のおかげで、9歳からバスケットをはじめました。
僕の住んでた地域は、小学4年生になったら部活へ強制的に参加させられるなぞ制度があったので、全員なにかしらの部活に入ることに。
もちろん僕はバスケ部に入部しました。
みんなより少し早いスタートを切っていた僕は、すぐにレギュラーとして試合に出場。
さらに、「もっとバスケがしたい!」ということで、部活と別にクラブチームにも所属。
- 8:00-15:00 授業
- 15:30-18:00 部活
- 19:00-21:00 クラブチーム
というブラック企業顔負けのハードスケジュールで動いてました。
しかも、当時の顧問の先生が熱血教師で「絶対に(市内の大会で)優勝するぞ!」と意気込んでいたので、僕たちもそれに答えるように毎日練習していました。
もちろん土日も部活&クラブチームです。
土曜日
- 9:00-12:00 部活
- 13:00-17:00 クラブチーム
日曜日
- 12:00-18:00 練習試合
これぞ本当の年中無休。
なので、当時みんなが見ていた戦隊モノやゴールデンタイムのテレビはほとんど見てないので、話についていけずちょっと寂しかった記憶があります。
その成果もあって、小学6年の市内大会では優勝し、クラブチームでは全国大会にも出ました。
それにしても、本当にバスケしかしてない・・・。
なんとなくわかるかもしれませんが、授業中はほぼ爆睡してたので、成績は最低。
あ、でも体育・図工(懐かしい)の実技は満点でした。
僕が今エンジニアとして働きながらも、趣味を楽しんだり筋トレをやったりできる体力はこの時培われたものですね。
地元を離れ高校に入学
高校へ進学するタイミングで小・中と過ごした地元を離れることになります。
どこに引っ越したかというと、岡山のかなり田舎の方。
仲良い友達は一人もおらず、初めの方は寂しい高校生活を送っていましたが、高校一年の夏にバスケ部に入部。
そこから徐々に友達ができはじめました。
バスケやっててよかった。
そこでも変わらずバスケにのめり込みます。
そして、成績は下の方。
もちろんパソコンなんて触りません。
パソコンを触らないといけない授業は、出席だけして友達にやってもらってました。
「なんでこんなものでわざわざ文章を打たないといけないのか?」という疑問でいっぱいでした。
高校があまりにも田舎すぎて、今までバスケしかしてなさすぎて、
と、毎日思ってました。
狂ったように遊んだ大学時代
親に「遊びに行ってくる!」と宣言し上京。
今までろくに勉強してこなかった僕は、文系のFラン大学に指定校推薦で入学しました。
つまり、入試をしてないんです。
どれだけ勉強することが嫌いだったかお分かりいただけるだろうか?
指定校推薦もらえるなら、頭良かったのでは?
そう思った方。
あまいです。笑
あんなの、普通にしてれば3点で、定期テストができなくても授業のノートを頑張って取ってたら+1点。
先生となか良ければ+1点で満点取れます。(合計5点満点でした)
数学や英語はダメでも、4教科の方が強かったのでなんとかなったんです。
そんなこんなで入学して以来、僕はまったく一度も勉強をすることをせずに大学生活で遊びまくります。
サークルを設立し、毎日飲み会・オールでカラオケ、合コン、BBQなんかは当たり前。
スノボ、音楽フェスなども経験し、それだけでは足りず、アニメ・漫画を見まくったり、アートやファッションにもどハマりしました。
ちょっとモデルのようなことも。
見た目が命!だったので、髪を白や金に染め、原宿系と呼ばれるような超個性派ファッションに身を包み、大学に高い頻度で原宿に行ってました。
もちろん、クラブナンパや異性遊びも完璧にこなしてました。笑
本当に多忙でひどい時には、
- 5:00-13:00 コミケ(コミックマーケット)
- 14:00-22:00 カウントダウンジャパン
- 23:00-5:00 クリスマス会
今考えると狂ってんな、と思えるスケジュールもこなしてました。
授業は友達に代理出席を頼み、レポートは友達に書いてもらい、試験は事前調査とカン○ング。
もう本当に頭もパソコンも使ってません。
さらに大学の後半は、普通の遊びじゃつまらなくなって、「酎ハイ100缶飲むまで帰れまテン」とか、
「ハンバーガー100個早食いチャレンジ」や「集合から解散までずっと酔ってるキャンプ」など「Youtuberかな?」と思える企画の数々に挑戦していました。
それくらい本気?で遊んでいました。
遊びすぎて借金100万円
ここまで読んだ方はこう思ったと思います。
こいつ金遊ぶ時のはどうしたんだ?
借りました。親に。
すでに大学に入学する時に奨学金をもらっているにもかかわらず、さらに借りたんです。
だって、バイトってあほらしくないですか?
なんであんなちょっとのお金のために自分の大事な時間を提供しないといけないのか?
とおもっていたので、どのバイトをしても長続きせずすぐにやめてました。
と思い、どんどん借りて卒業するころにはその金額は100万円になっていました。
今もちょっとづつ返してます。
なんとなくで小売店に就職
大学で常に遊んでいた僕にとって、就活は天敵です。
髪も大好きな白髪から黒に戻す、スーツ着る、働きたくないのに働く理由をアピールするの苦手なことの詰め合わせでした。
一刻も早く就活を終えたかった僕は、ここでとんでもない行動にでます。
それは、手当たり次第にエントリーシートを出して、初めに内定もらった会社に決めるというもの。
そんなバカな!
って思うかもしれませんが、当時の僕はそもそも働きたくないし、働くなんてどこでも同じだと思ってたので、
就活なんか早く終えて、残りの大学生活を満喫したかったんですよね。
そして宣言通り、一番元に内定が出た某大手小売店に就職を決めます。
やりたいことなんてなかったので、とりあえず決まって良かったー!と当時は思ってました。
仕事で消耗し絶望する
なんとなくで就職したとはいえ、一応社会人。
学生と比べて時間は減るけど、お金は増えるなんてよくいうし、ちょっと楽しみにしてました。
「これで好きな服も買えるし、旅行もできる!」
と、当時は思っていました。
そう、あの時までは。
2年後、ほとんど変わらない給料で貧乏生活を送ることになるとは、この時の僕は知る由もなかったのです。笑
小売店時代の僕の口癖は、「金がない」
ほぼ毎日いってました。
挙句のはてには、友達の結婚式の祝儀代がはらえず、別の友達に借りることに。
本当になさけない・・・。
お金なさすぎて一日500円で生活してましたからね。笑
そして僕は気付きました。
- 学生=貧乏
- 社会人=金持ち
こんなのほんの一部の選ばれた人だけだということに。
でも、
将来の事は全く考えてませんでした。
というか怖いのであえて考えないようにしてました。
ただ、なんとなくこのまま働くのは嫌だなあ、、、という思いはありました。
この頃になると、友達との収入格差が顕著になってきて、それも余計僕を焦らせました。
一緒に旅行で宿を決める時、僕のお金がないのが原因でみんなに迷惑がかかったりする事も。
同じ大学をでて、こいつらだってそんなに勉強してないはずなのに、、、 めちゃくちゃ悔しかったのを覚えています。
でも、何もできず・・・。
ノウハウコレクターになり30万円損をする
なんとかしようと思った僕は、3つの方法を思いつきました。
- 転職する
- 副業でアルバイトをする
- ブログなどネットでビジネスをする
間違いなくお金が増えるのは①と②なんですが、①は同じような職種しか紹介されなかったのでNG。
もう接客はやりたくなかった。
それに今から憧れの大手有名企業に入れる訳がない。
②は確実にお金が増えるけど、労働時間も増える。
結局残業してるのと変わらない。
そう思った僕は③のブログなどのいわゆるネットビジネスに手を出します。
当時、ブロガーブーム真っ只中で、「自由に稼ぐ!パソコン一台でどこでも働ける!」なんて文句と共に多くのブロガー・インフルエンサーがネットでオラオラしてました。
この時、自由に働いている(ほんとかどうかはわかりませんが)人たちをSNSで見ていいなあと漠然と思いました。
(今はみんなどこで何してるか分かりませんが・・・)
僕は決意します。
そう思ったものの、周りに聞ける人もいないし、なにから初めていいかさっぱりわからなかった僕は、わからないなら教えてもらおう!
と思い、副業のやり方について何かいい情報はないかと調べます。
すると、「ココナラ」というスキルの、売り買いをするサイトが出てきて、そこには物販や、ブログ、アフィリエイトや株など稼げる副業の方法が沢山売られていました。
なにがいいのかさっぱりわからなかった僕は、そこにある副業のノウハウを買いまくりました。
合計10万いってたと思います。
しかし、目的もなく買いすぎてしまったので結局どれも中途半端なまま。
もっといい方法はないかと思いTwitterで稼ぐ方法で検索。
すると、パソコン一つでだれでも稼げる学歴関係なし!
というクソ怪しいアカウントを発見。
今考えたたらそんなもの絶対に買わないんですが、当時の僕はよっぽど焦ってたんでしょうね。
そのノウハウ?を20万円で購入しました。
正確な値段は覚えてませんが、たしかこれくらい。
結論からいうと、そのTwitterで買ったノウハウに関しては詐欺でした。笑
学べたのは、
- 集客の方法(ちょっと)
- 営業の方法(ちょっと)
- 自己アフィリエイトの基礎(知ってた)
これだけ。
マジで役にたたなかった。
社会の厳しさ、を学びましたね・・・。
自分の無知さが悔しかった・・・。
にしても、普通に詐欺だったし腹が立つので、もし見つけたら思い切り殴りたい。笑
「自由な働き方はしたい!」
というアツい気持ちとは裏腹に、ただお金がなくなった僕は途方に暮れていました。
なんとかエンジニアになるも月収15万
もう人生終わったわーと思いなが生活してるある日、転機が訪れます。
それは、大学の友達とスノボに行った帰り道、こんな話をしました。
それに対して、友達はこう言いました。
この時僕は「え?何いってんの?」と思いました。(言いました)
今思えば、この一言がなければ僕は今こうしてフリーランスとして働く事はなかった。
すると友達はこう続けました。
たしかに、この友達は僕と同じ大学の同じ学部の同じ学科。
つまり頭の良さは同じ。
そして、大学生活で遊ぶことしかしてなかったんです。
僕はそう思い、その友達の言うままにHTML CSSの参考書をその場で買いました。
コレが僕がエンジニアを、目指すきっかけだったわけです。
とはいえ、今までパソコンなんて持っていなければ触ってもいないので、まずはパソコンを買うところから。
家電に詳しい友達についてきてもらい、ヨドバシで新品のmacbook airを買います。
あこがれのmac!!
テンションあがりすぎて、ステッカーを貼りまくってドヤってました。
ちなみにこの時の僕のパソコンレベル↓
- キーの押方:人差し指
- ショートカットキー:1つもわからない
- Excel:入力のみ
- Word:入力のみ
本当に今までパソコンにほとんど触れたことがない僕は、大袈裟でもなんでもなくこのレベルでした。
大学時代の友人と話すと、いまだに信じられないと言われます。
パソコンの操作に慣れないまま、プログラミングスクールに通い、勉強すること3ヶ月。
今まで使って来なかった頭をフル活用し、頭痛・首痛・腰痛と戦いながらもなんとか勉強をつづけます。
簡単なポートフォリオを作り、面接の練習をしていざ面接スタート!
なんと、1社目で内定!
元々面接は自信あったんですが、こんなにうまく行くとは思ってなかったです。
当時はエンジニアがどんな仕事をしているかや、言語についてもあまり詳しく知らなかったので、とりあえずパソコン触れたらいいやという気持ちでした。
いざ現場で働いてみると、「わかんないことがわかんない状態」。
もう、みんなのいってる事全てが外国語に聞こえました。
とりあえずでSES企業に入った僕を待っていたのは、派遣先SIer企業でのめちゃくちゃつまらない業務の数々。
内容は、大規模システムの改修に向けての、要件定義書や設計書の作成。
しかもめちゃくちゃ細かい上に、訂正までに時間がかかる。
でたー!SIerの悪いとこ。
それにこのままじゃ、開発経験がつめないからフリーランスになれない。
フリーランスになりたくてエンジニアになったのに、、、僕はかなり焦ってました。
そこに追い討ちをかけるようにのしかかってきたのが、15万という給料。
「・・・15万???」
学生の頃の方が稼いでた気がする、、、 流石に都内一人暮らしでこれはキツすぎました。
当時の家賃が6万ちょっとで、そこから生活費、奨学金諸々を抜くと何も残りません。
「友人の結婚式=死!」みたいな状況で本当に生きてて辛かったです。
1日500円生活もやってました。
今思うともう戻りたくないですね、、、 このままじゃフリーランスどころか生きていくのが辛い。
僕はこう思うようになりました。
そこで、SNSで調べるとフリーランスになるにはrubyかPHPが良いという文言が。
コレだと思い、すぐにRubyの勉強を、始めました。
会社での業務を終え(終わってなくても帰宅)、帰ったらすぐに勉強!
- 平日は2-3時間
- 土日は6時間くらい
今までやった事ない勉強をめちゃくちゃやってました。
なんとかProgate→railsチュートリアルを終え、ポートフォリオを作成したタイミングで元いたSESを辞め、次の会社に。
全くの初心者だった僕を拾ってある程度パソコンができるようになったこの会社には感謝してるし、ここで勉強したことも多かったなと今ではそう思います。
SES兼自社開発企業に入社
新たに自社開発兼SES企業に入った僕は、なんとかRubyの開発を経験できることになりました。
経験年数浅いということもあって給料は20万くらい。
こんなんじゃどこにも遊びにいけないし、相変わらず生活は苦しかったですが、前より上がったので、とりあえずは良かったです。
ほんとはすぐにでもフリーランスになりたかったんですが、ある程度は経験を積まないといけないと思い渋々働きました。
数ヶ月後のある日、
と思った僕は、某大手フリーランスエージェントに面談に行きました。
そこで言われたことは、
まあ当然といえば当然ですね。
でも、少しでも早くお金を稼ぎたかった僕は諦めきれませんでした。
この頃、僕にエンジニアを勧めてきた大学の友達はすでにフリーランスとして働いていました。
現状を話すと友達が使ってるエージエェントなら実務経験が浅くても案件はあるかもしれないというので、探してもらうことに。
登録から2週間くらいに面談が組まれ、1週間で決まりました。
合計1ヶ月いかないくらいですね。
でも、なんとかポテンシャルとコミュ力を評価されて、フリーランスの案件に入ることになりました。
ただし、月単価(給料)は35万円くらいとフリーランスの最低額。
当時はこれでも給料が上がった!
と、めちゃくちゃ嬉しくて友達に電話しまくったのを覚えてます。笑
フリーランス1年生:いきなりクビになる
フリーランスとしてなんとか初の現場入りを果たした僕は、今考えてもスキルは低かったです。 しかも面談の時に、できる?
と言われたスキルに対して緊張のあまりよく聞き取れずとりあえず「できます!」と答えてしまったため、苦労することなります。
現場の人たちは優しくて、いろいろ教えてくれましたが、ある日現場のリーダーに呼び出されました。
そこで衝撃の一言、、、 クビ決定!
完全に現場のレベルに合ってなかった僕は、なんとなく予想はしていたもののいざ言われるとちょっとショックでした。
とはいえ、現場での本格的な開発経験を2ヶ月経験した僕は、フリーランスになる前に比べ、
Gitでのバージョン管理や大規模案件でのタスクの進め方などはある程度身につきました。
そのおかげもあってか、次の案件は営業開始から2週間で決まりましたし、その後契約期間内にクビになるということはなくなりました。
その時の案件の単価は45万円くらいと前回に比べかなり上がりました。
元が低かったとはいえ、2ヶ月の経験でこんなにも変わるのかと驚いたのをいまでも覚えてます。
僕みたいに勉強が苦手で積極的にやらない人間は、やらざるを得ない環境に身をおかないとダメだと再認識しました。
いろんな現場にいてわかったんですが、フリーランスになると即戦力!質問できない!
なんて言ってる人がいますが、そこまで厳しくないです。
質問のコツを知って、相手に不快感を与えなければむしろ聞くのが普通。
相手もチームの一員なので、無碍に扱ってパフォーマンスが落ちるより、教えてできるようになってくれた方が生産性が上がるってもんです。
その辺りは心配しなくても良いかと。
そんな感じで1年くらいは常駐フリーランスとして、スキルアップに励んでました。
フリーランス2年生:あこがれの週休3日になる
月45万円の案件を契約期間まで働き終わって、次の現場に移りました。
この時も2週間ほどで決まり、言語は変わらずRuby。
この案件も無事に終わり気づけば僕のフリーランスエンジニア歴は1年に。
現場に入ったばかりの頃は本当にただの雑魚だった僕も1年間、現場で揉まれなんとかコードが書けるようになりました。
そんな時、知り合いのフリーランスエンジニアから、「人が足りないから案件に入らないか?」という提案がありました。
よくよく聞くと、直契約だから単価は高めで、週4勤務やリモートも可能との事でした。
これはラッキーと思い、すぐに面談を組んでもらうことに。
知り合いの紹介ということでトントン拍子に話が進み、すぐに参画が決定しました。
この時の単価が、月60万(税込稼働時間による)で週4のフルリモートとかなりいい案件に入ることができました。
フリーランス3年生:フルリモートで月70万〜
知り合いの紹介で、かなり良い条件の案件に入った僕は芋までやっていた技術に加え、AWSとVue.jsを現場経験を経て身につけていきました。
現在では、その案件は無事アプリをリリースし終え、保守フェーズになったため、週1ペースで運用業務をしてます。(問題が起こらなければ何もしない)
これだけだと、さすがに暇すぎるので別の案件も並行して行っています。
なので結構忙しい。笑
エンジニアとして技術力はキープしておかないといけないので、ちょうど良いですが。
現在は月70万程度の案件に参画してます。
そんな感じで、今はフリーランスとして働きながら、趣味と副業をやってます。 副業はブログで、最高月収ほ20万。(今は平均8〜10万ほど)
プログラミングスクールの先生もやったり、コーチングもやってます。 あと最近は趣味にも時間とお金を使えるようになってきたので、ガンガン投資?してます。
旅行、ジム、DJスクール、スマブラなどなど。
元々仕事大好きというわけではなく、趣味のために1番コスパの良い仕事がしたいと思いエンジニアになったようなものなので、今とても充実してます!
大切なのは挑戦すること
ここまで読んだ人は思ったはずです。
そうなんです。
フリーランスの方が多少の向き不向きがあるとはいえ、お得なんです。
これは、事実です。
でも、多くの人が挑戦しません。
挑戦しない自分に言い訳をして、現状のままの生活を送ろうとします。
これは当然の事で、環境の変化を恐れるのは人間として当たり前の事。
みんな「フリーランスがいいからフリーランスになろー!」
って言い出して本当になってしまったら、日本が終わります。SES企業がなくなります。笑
でも、大丈夫!
そんな事は絶対におきないので。
なぜなら、みんな行動しないから。
どれだけいいってわかってても行動しません。
行動した一部の人が儲かる仕組みになってるんですよね。
だからこそ、挑戦しましょう!
環境・性別・年齢・頭の良さ・文系理系
全く関係ないです。
エンジニアになるのに資格は入りません。
だれでもなれるんです。
ここまで読んでくれたみなさんならわかるように、僕はもともと勉強嫌いのバカでした。(今も) 僕のやった事といえば、
- とにかく手を動かして勉強
- とりあえず現場に入る
- 現場に入ったら本気でキャッチアップ
- エンジニアの知り合いを増やす
- 案件は半年〜1年くらいで変える
- 副業などを行い収入源を多角化する
正しい努力を、しっかり継続すれば達成できます。
技術が身について、今後も安泰。
後ろめたい事なんか全くないし、むしろ人から感謝されますからね!
フリーランスエンジニア。
本当におすすめです!
COMの人生の1/3終わり。
エンジニアになる決意の話
エンジニアは確かに誰でもなれます。
じゃあなぜこの世にエンジニアが溢れてないのか?
というとかなりの確率で挫折しているからです。
正しい努力をつづけないと挫折します。
僕がなぜこれまで勉強を続けてこれたのか?なぜ今フリーランスのエンジニアとして働けているのか。
というと、効率よく稼いで、残りの時間は思いっきり趣味を楽しみたい!
という決意があってそれができる環境にいたからです。
一緒にエンジニアとして活動して、余った時間で遊びたいなと思い、こうやってフリーランスエンジニアになるために役に立つ情報のコラムを発信しています。
無料なので、興味ある方はどうぞ!
今エンジニアを目指してる人は、モチベを上げます。
エンジニアになるために必要な情報を定期的に配信します。
今エンジニアでフリーランスを目指してる人は、フリーランスになるきっかけになるかも!
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